僕らも、「カメラなかったらおもろないやつ」の一人なんじゃないか

先日、こんなニュースが話題になった。

というか、炎上してた。

 

 

 

ラーメン店は1月22日に公式ツイッターで「先程『たむけん』さんが来店されました!」とつぶやき、たむらと記念撮影した画像をアップ。さらに、この投稿にリプライする形で「マイク、カメラなかったらおもろ無い奴でした」とつづった。

 

たむらけんじを「おもろ無い奴」罵倒ツイートでラーメン店炎上…本人が「もうやめましょう」沈静化呼びかけ : スポーツ報知

 

 

主に、芸人やタレント、女優さんなんかが、

カメラを向けられたときだけ、明るく振る舞って、

カメラが無い場面では実はそんなこと無い、素っ気ない、なんてよくある話だと思う。

 

 

しかし、逆に言うと「生で会っても、あのままのテンションで、好感度上がった~~!」聞く話ではなかろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕らは、カメラがなかったら面白くないやつなのか?

 

「なにいってんだ?」と思った方がほとんどだろう

 

だが、僕らもたむけんさんの立場に立たされることはある。

その例が、営業マンや接客業をされてる方々だ。

 

僕自身は営業マンとして、都内辺りで外回りをしている。

訪問先に顔を出す前には、口角を上げたり、表情を作ったりするものだ。

 

オフの顔をすることは許されない。

プロだから。

 

 

 

 

 

 

 

そのことを思ったら、ふとした拍子にクライアントの方に出会したら、たぶんオフの顔、

すなわち「カメラがなかったらおもろないやつ」になっていると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、オレ、営業じゃねぇしw

 

ここまで読んで、納得していない方や、

極端な話「それとこれとは話が別、たむけんは芸人としてオフの表情は出してはいけない!」と思う方もいるかもしれない。

 

世の中、色んな立場の職業、役職の人がいる訳で、みんながみんな、人を相手にしているわけではない。

 

 

 

 

 

うちのオカンも、カメラがなかったらおもろないやつですよ!

さて、ここで実家にいるオカンにフォーカスして考えてみよう!

 

 

母「はい!もしもしーーーっ!」

父「おぉ、あのさぁ」

母「あぁ、お父さん..」

この文脈だけで、オカンの声色とトーンが変わったことは明白。脳内再生余裕である。大体どこの家も同じでしょ。

事務のオバハンがそうなんだから、そうでしょ。

 

 

話が逸れそうだが、この例を見て言えることは、

つまり、オカンは、外面を良くしていると言える。

常に、口角アゲアゲで、声色変えてて、トーン高いって無理なんじゃないかと言いたい。

 

だって、常に高いテンションなオカンとかウザくない?

(そういう問題ではない。)

 

 

 

では、芸能人など、画面の奥の人達に視点を戻したい。

芸能人も、女優もオカンと同じホモサピエンスである。

神じゃない。

 

裏を返せば、オフのときでも、サービスしてくれる芸能人、有名人の方々は尊敬に値する。

 

 

 

自然体でいることにもっと寛容でいいんじゃないか?

他人に期待することを辞めた方がいいんじゃないか?

 

 

 

ラーメン屋の主人も、もっと相手のことを思ってたらこんな発言には至らなかったのではないだろうか。

 

画面の奥にいるのは、常に生身の人間だと忘れてはならない。

 

Twitter

 

 

 

 

 

 

僕は面食いだ。

初対面の人に対して、皆さんはどこを見ているだろうか。

 

 

 

タイトルで察していただいてる通り、

今日は

「ぶっちゃけ、パッと見だけで判断すればよくね?」

という暴論について、熱く語っていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、好きなタイプは、麻生久美子戸田恵梨香です。めっちゃかわいい。ずっとかわいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

違う、今日はこの話じゃない!

 

ちゃんと回答していきたいと思うので、最後までお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで見た目なの?酷くない?

さて、さっそくだが「Why?」の部分についての根拠をざっくりと挙げていきたい。

  • 顔は身体の中で一番露出している部分であること
  • 健康状態、精神状態、年齢、経歴、などの情報量が半端無い
  • 身に纏った衣類も情報の一部

 

 

 

 

まず、外見といえば、顔の造りや骨格、身長が思い付く。

というか、「面食い」とか「外見」って言ったら、こっちを暗に指してるような気がする。

これらは、先天的な要素だ。

 

 

だが、外見には、肌や髪、衣類、表情、これらの要素もある。これらは後天的なものではないだろうか。

 

 

  • 肌、髪   

生活習慣、食習慣

 

  • 衣類     

センス、流行への感度、TPOわきまえてるかどうか

 

  • 表情

人との接し方、距離感

 

 

 

 

ざっくり挙げてみたが、外見で判断することで、ある程度その人の情報が得られるとは思わないだろうか?

 

 

 

「面食い」とか言うと、反発する人が一定数存在する。

これは、先に言った先天的な要素だけで判断してると思われてしまうからではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、見た目で判断するなんて酷い!中身が大事だよ!」

こんなこと、言える人の方が凄いと思ってしまう。

 

これを言える人はつまり、「私には、他人の内面性を見る目があります。」って豪語してるのと同じだから。

 

 

 

 

僕には、人の内面を瞬時に判断できるほどの人間性は無い。

 

内面なんて、量る人によってものさしが変わってしまうと思う。そんな曖昧な尺度で人を判断したくない。

 

 

 

 

例えるなら、こうである。

 

喧嘩別れをした元恋人に対して、印象が悪くなったがために、

「元カノめっちゃ性格悪かった!だから別れた!」

と相手の内面を卑下するということはあり得ると思う。

別れた後に、印象が変わって内面性についての評価軸がブレブレである。

 

 

しかし、

「もう元カノとは別れた!だから、アイツはブサイクだ!」

 

とはならないはずである。笑

(文脈からしておかしい笑)

印象は変わっても顔はそんなに簡単に変わらない。

性格の印象が変わろうがブスな元カノはブスなままである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(別に元恋人の悪口を言いたい訳ではない。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

外見で判断することは、内面性を量ることに比べて曖昧な尺度を避けることができる。

 

外見は、その人の生活習慣、経験などが滲み出た部分。

したがって、そこから判断することも可能。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「性格が良い子がタイプ!」と、豪語してたアイツ、今元気かなぁ、

「性格が良さそうな顔をした子」が好きなだけだったし、な…

 

 

 

 

 

この話はまたどこかでしたい。

 

 

続く   (?)

 

 

 

読んでない本の読書感想文を書いてみる

 

みなさんは、読書感想文という宿題が得意だっただろうか

学生の頃、夏休みの宿題の一つに入ってたりしたアレである。

 

 

ぼくはというと、苦手だった。

「なんで、読んだ上で、文章書かないかんのじゃ!二度手間や!めんどくさい!」

 

 

いや、二度手間ってなんだよ…

確かに読まないと書けないものではあるけど、

 

 

そんな僕は、サクサク進まないことに対してイライラが募り、

目次と導入部分と、巻末のまとめの部分だけを読んで、それっぽい感想を添えて提出したことがある。

 

いちばん酷いのは、小説の帯と、裏表紙のあらすじだけを読んで、それっぽい感想を添えただけというお粗末な物まで…

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、意外とバレへんな…先生ちゃんと読んでますか…?」

そんなことを思ってしまった中二の夏

 

いや、オマエこそちゃんと書いてますか?

と今になって思う。

現代文担当だった鈴木先生ホントにごめんなさい。

 

おかげで要約するのは、得意になりました。

 

 

 

 

 

 

さて、反省する様子があるかどうかは、あえて触れず、今回の本題に移りたい。

 

 

 

 

 

 

読んでない本の読書感想文

本を精読することなく、内容を知るとなると、僕の場合は方法はこの2つしか思い浮かばなかった。

  • 目次と導入とまとめだけをかいつまんで読む
  • 人から内容をきく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いわたに on Twitter: "Twitter 読書会(オンライン開催) https://t.co/y3fdYbIjvD #bosyu"

 

【酒あり】Twitter 読書会(オンライン開催)

今回は、こちらのイベントを活かして2つ目の方法に絞ってみた。

 

 

 

 

 

読んだ本はこちら

 

(僕が)読んだ(わけではない)本はこちら。

 

 

 

 

まず、著者について、ライフネット生命の社長を勤める出口氏はサラリーマンを経て社長に至る。

 

そして、豊富な人生経験の中で、教養とはなにかということを見つめ、たどり着いた回答を記しているという。

同時に教養を得るためのメソッドも語っている。

 

 

 

 

 

 

教養とは「ワクワクを増やすためのツール」

本の命題に対する著者の回答は、自分の興味や関心について、掘り下げるための道具が教養なのであると語っている。

 

例えば、サッカー観戦をするにしても、

  1. ルールを知ってるレベル
  2. 選手の顔と名前が一致する
  3. 好きな選手がおり、そのプレースタイルからルーツまで把握している

好きのレベルにも段階があると思われる。

より深く知っていた方が、「教養がある」方が、多くの視点で観られる分楽しめるはずである。

 

 

 

 

ここで、逆説的に考えてみたい。

僕自身は、運動音痴でサッカーはするだけじゃなくて、見るのもイヤというタイプだったらどうだろうか。

サッカーについての見識を得たいとは思わないし、掘り下げようとは思わない。

 

僕が面白いと思ったのは、著者は「ワクワクを増やすためのツール」と言っている点である。

やはり、活かすも殺すも自分次第なのだなと感じた。

 

 

同時に、学校がやっていることは、「生徒にツールを与えている」だけであり、「生徒にツールの使い方を教えている」訳ではないという点にも気付くべきなのではないだろうか。

 

 

 

 

 

リコーダー吹けても楽しくねぇよ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

運動音痴だから、サッカーしたくねぇよ!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ツールを使ってどう楽しむんだよ?と、

ひねくれた少年は声を上げるべきだと感じた。

 

 

 

 

 

一方で、著書において教養とは、「空間軸」、「時間軸」でも問われる物が変わってくるという。

 

例えば、現代における年金などの社会保障について考えてみる。

近年になって「オレが定年越えたら…」なんて心配をする人が大多数だと思う。

一方で時間軸を20-30年ほど前に戻すと、バブルの時代にそんな心配をしていた人は少数派だったはず。

 

空間軸についても、局地的な問題や関心はあるはず。

 

教養は不変的なものではなく、常にアップロードする必要があると感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教養を得るための手段

先ほどまでは、教養とはなにかという命題に対する回答だったが、その教養を得るための方法論についても、著者は述べている。

 

それが、大きく分けると以下の3パターンだという

 

 

 

ここから、3つのパターンについて、比較を含めて話したい。

 

言わずもがな、他2つに比べて、コストが低く、手軽である。

時間や場所を制限されずに、著者の体験や論理を学ぶことができる。

ただ、自分だけで解決してしまう媒体なだけに、視野が制限されがちである。

 

小説であれ、評論であれ、特定の人物の思考や視点をたった一冊で、1000円前後で得られるのは、やはりすごいと改めて感じた。

 

本読もう…

 

 

 

 

 

 

 

特定の人物に会う、話を聞く、体験をシェアする。

これにより、人間は、お互いに大なり小なりの影響を相互方向に与えている。

 

前述の本という媒体に比べると、会いに行く時間とお金というコストや制限はかかる。

しかし、会いに行くということは、人物の機微であったり表情、発声の抑揚から伝わることもあるように思う。

 

みなさんの中にも、「会うだけで、話さずとも笑顔になれる人物」はいないだろうか?

前後の人間関係ももちろん関係してくるところではあるが、なんとなく好き(or嫌い)という、言葉では尽くせないものがそこにはあると考える。

 

これは、仮説だが、一般的にいう面白い人というのは、周囲も面白い人が多いようにおもう。

 

つまり、会った人の数、人の種類、経験が今の自分を形成しているといえるのではないかと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

旅からも得られることは多い。

 

例を挙げて考えたい。

先月、私用で京都に行くことがあった。

当然のことと言えばそれまでだけど、普段過ごしている都内とは見える世界が明らかに違った。

建物の高さや景観はもちろん、擦れ違う人の話す方言など

 

新幹線を降りて改札を越えた次の瞬間から感じられる物があった。

 

たしかに、前述の2つに比べて、わざわざ足を運ぶことや、旅に割く時間などを考えるといちばんハードルが高いようにも思う。

 

だが、人と会うこと、本を読むこと以上に五感をフルに使える点が違うと感じた。

 

前述の「空間軸」で必要とされる(活かせる)教養が異なるということは、まさにこのことかと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

教養=「ワクワクを増やすためのツール」

すなわち、面白い人というのは教養のある人、興味や関心の幅が広い人物。

 

教養を得るためには、以下の3パターン

  • 本を読む
  • 人と会う、話す
  • 旅に出る、足を運ぶ

 

教養は、「空間軸」、「時間軸」でも問われる物が変わってくる。

したがって、不変的なものではなく、必要に応じて常にアップロードすべき。

 

 

何より、「教養」って堅苦しいし、頭でっかちなイメージを浮かべがちだったが、

話せる幅や、人間性そのもののことを指しているのだと考えさせられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれ?!オレ読んでないけど、それっぽいこと書けてる?!

 

14歳の夏から何も進歩していないと気付いてしまったのであった。

 

さすがに、こんだけ書いといて読まないのはナンセンスかなと思ったので、Amazonで購入。

 

改めて読んだ感想も書きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本について、「語り合いたい」、「ディスカッションしたい!」「とにかくアウトプットしたい!」という方は、Twitter読書会を覗いてみてください!

 

【酒あり】Twitter 読書会(オンライン開催)

 

 

ありがとうございました。

 

 

平成最後の忘年会

みなさんこんばんは

 

名古屋に帰る夜行バスの中でこの記事を書いています。

(隣の席の外国人の寝相が悪すぎて、寝れたもんじゃないんです)

 

前置きはいいんですが、

本日12月29日(土)に都内某所で、「平成最後の忘年会」なるものに参加してきました!

 


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(当初はこんなモチベーションでした!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻しまして、「#平成最後の忘年会」とはなんぞや、という方は以下をどうぞ

 

忘年会を開催します!!!みんな来てね!!! - 意識高い系中島diary

 

主催者は、Twitterやブログでお馴染み意識高い系N島bot

 

 

 

 

 

感想

楽しかった。

普段視野出会えない人の話、聞いたことのない体験談。

中島のやってること、発してること、面白さはあるけど、先を越されているようで、悔しさはあるなぁと、実感しました。

 

なにより、Twitterを通してリアルに会えたことに素直に感動しました。

Twitterのフォロワーは数ではなく、質だと思うし、オフラインでこういったイベントに参加するユーザーは、かなりアクティブな層だと捉えることができます。

その人達に会えたこと自体に、まず感動。

そして、話してみて、140字では収まらない熱量に感動。

 

Twitterは楽しいけど、面と向かって話すことの楽しさを再認識させられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

参加者の層

ここまで話してみて、気になった方もいるかと思うので、リアルな参加者の層を、

 

大学生が多い

特に男性が多数

 

 

 

 

です!

分かりやすいですね!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上記を踏まえて、

「こんな人がいたらいいな」って思ったのは、

 

  • 料理人

会場に、IHコンロ、食器類は揃っているので、その場で調理できたら、良さそう。

おつまみは美味しかったけど、出来立てで出されたら、違うと思う。

 

お酒は各自で注いでください。というスタイルなので、これもいたら雰囲気良くなるとの声が。

 

  • ダンサー

今回の、東京での開催では、DJが複数名参加しており、会場でもプレイしてくれた。

曲のジャンルにもよると思うが、いたら盛り上がるかと

 

  • 女性

シンプルに男の比率が多いです。笑

 

 

 

です。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的には、次回も開催してほしい。

会場が違えど、盛り上がってもらえるなら、大阪も盛り上がってほしい。

そんな思いで、今回のブログを書いてみました。

 

ここまで、読んでいただきありがとうございました。

 

大阪でも新年会が開催されるようなので、行ってみては?

感情に流されるのはもったいないよねって話

クリスマス直前の三連休いかがお過ごしでしょうか。

 

ぼくは今、西へ向かう新幹線に揺られながらこのブログを書いています。

 

今回は、昨夜の出来事と思ったことを書いていこうと思います。

最後までお付き合いください。

 

昨夜のこと

駒沢大学らへんでした。電車が急に止まり、そのまま動かなくなりました。

やはり、田園都市線。いつものことなのか、周囲の乗客は冷静そのもので、慌てる様子は皆無でした。

 

しかし、当のぼく自身はめちゃめちゃ焦っていました。

なぜなら、予約した夜行バスに乗り遅れる可能性があったからです。

 

焦るぼくに反して、全く動く気配を見せない車両。

寝始めるサラリーマン、なぜか自撮りを始める女子大生3人組(永遠の謎)

 

 

 

 

 

 

(オマエ意外と、冷静じゃねぇか…)

 

 

 

 

 

 

 

 

時間だけが過ぎてゆき、このままではバスの発車時刻を過ぎてしまう、

時間だけを持て余すと人って意外と冷静になるもんなんだなぁと、思ったり。

 

スマホを取り出したぼくは、やむなく予約していたバスをキャンセルしました。

 

 

 

やっと動いた電車、乗り換えの渋谷駅に着いた頃にはバスの発車時刻はとうに過ぎていました。

 

 

 

 

帰りの電車の中で思ったのは、

 

  • キャンセル料半額取られるやん
  • 新幹線かぁ高ぇよ…笑
  • 東急まじファ◯ク

 

こんな負の感情で支配されていました。

 

 

起こってしまったハプニングは仕方ないので、取った行動をまとめると、

・バスのキャンセル

・他の便の検索

・新幹線安いのあるんじゃね?

(ぷらっとこだまは前日はムリでした。この日初めて知りました。勉強になったね。)

 

 

 

結局、当日の朝出るのが一番ベターな選択肢だと分かったので、この日は大人しく家に帰りました。

 

 

 

 

 

怒りは二次的な感情

電車が止まってから、バスをキャンセルしてアクセス方法を調べる間、ぼくはずっとイライラしていました。

 

いえ、正直に言うと、東急の駅員の胸ぐら掴んで「バス、キャンセルなったんで負担してもらえませんかぁぁぁぁぁぁぁ????????」って言いたい感情を押さえつけていました。

恥ずかしながら、そんな人間です。

 

 

 

 

でも、そんな感情になりながらも、怒りに身を任せた動きにならなかったのは、アクセス方法を調べたり、どうにかしたい気持ちが勝ったからです。

 

 

 

 

そんな経験あるんじゃないでしょうか。

 

 

 

ここで、以前読んだアドラー心理学の「嫌われる勇気」の中で、怒りは二次的な感情ということが書かれていたので、正にこのことだなぁと思ったので紹介しときます。

読まなくても良いです。はい。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

喜怒哀楽の中で、怒りのみは二次的なものだという考え方です。

悲しい→泣く

楽しい、嬉しい→笑う

この2つが反射的な反応であることに対して、怒りは、一度頭で考えてから生じる反応だと。

 

たしかに、さっきは「ムカつく」とは思いはしたけど、「駅員さんの胸ぐらを掴んでクレームを言う」という行動には至らなかった訳で、

怒りはコントロールできるという話です。

 

 

 

 

そんなに中身のある話でも無いので、ここからはサラッと書いちゃいますが。

 

冷静になって考えたことは

  • 新幹線でも全然間に合うじゃん
  • むしろ前乗りしてまでやりたいことあったか?
  • ていうか、一番大変なのは駅員さんだよなぁ
  • (帰って酒でも飲もう)

 

 

逆にキャンセル料は取られたけど、得た物は

  • 会いに行く友達への土産話
  • 戻ったときの土産話
  • ブログのネタ
  • インスタのネタ(ムダに投稿し過ぎました。)
  • 睡眠時間
  • 酒ゆっくり飲む時間
  • 本を読む時間
  • ライブの予習の時間

 

 

 

今こうやってブログ書き上げてるのも、新幹線で時間を買ったという考え方

 

バスのキャンセル料は原稿料という考え方

 

 

 

 

※キャンセル料に見合った内容かは知りません。

 

 

 

 

楽しいフェスにしますんで、

ポル超についてのブログも頑張って書きます!

帰りは、バスの中で!笑笑
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「そこに山があったから」 日帰り登山のススメ

今日は山の話します。

特に前置きとかは無いです。

 

という、前置きです。ハイ

よろしくお願いします。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「山登って何が楽しいの?」「なんで山登るの?」

これ、趣味はなんですか?って話から高確率で聞かれるんですが、

「じゃあ、富士山登るんですか?」

の次くらいに聞かれるレベルです。笑

 

今日は、一つ目の問いに回答していけたらと思います。

初心者の方や、全く山登りなんてしません、なんて方に少しでも響いたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

(富士山については、たぶんしばらくブログには書きません笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこに山があったから」

イギリスの登山家、ジョージ・マロリーの名言であり、聞いたことがある方も多いんじゃないでしょうか。

 

今回は普通に書くと、こんなことを書いて終わってしまいそうなので、ちょっと的を絞っていきます。

前提として、日帰り登山においてより硬質な情報を提供できたらと思います。

 

 

 

 

 

1日を長く使える

色々考えてみたけど、これが今の僕自身の極論です。

ピンときてない方もいると思いますので、簡単に解説します。

 

 

◎朝がめちゃくちゃ早い

大体始発です笑

ここで読むの辞める人いたら切ないけど、もうちょっとガマンして読んでみてください笑

 

山登り=究極の朝活だと考えています。

朝が早いと、1日を長く使えるのは、言うまでもないですね。

 

 

◎移動時間がある

この時間に、小説を読む、音楽を聴く、パーティで登るならば、会話できるといったことができそうです。

 

個人的な考え方ですが、行きの電車や車の中ではスマホは極力バッテリーを消費したくないので、自然とアナログな時間の使い方になります。

 

 

 

 

 

 

 

(っていうか、スマホ使いたくても電波入らへん…)

 

 

 

 

 

 

◎そもそも山登り自体が複合的なレジャー

山登りそのものは、「歩く」「写真を撮る」「地図を読む(その土地を知る)」「景色を眺める」「ごはんを食べる」...といった要素を含んでいます。

1日にこれだけ楽しめたら、充実感が得られそうですね。

 

お得!

 



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先々週登った山を例に挙げてみたいと思います。

 

04:00 起床

起きてごはん食べて支度する。

 

 

04:50 始発に乗車

始発なんで静かです。本読めます。

めっちゃ集中できる。

※土日の始発はゾンビ化した、飲んだくれがいることがありますが、こちらから刺激しなければ襲われることはありません。

 

 

06:30 登山口最寄り駅到着

この時間から運動し始めてるっていう優越感に浸りながら、山行を開始します。

 

 

09:30 山頂着

上に添付した写真はそのときのものです。

より高山であれば、午前中の方が天候が安定してることの方が多いです。

これが、山登り=究極の朝活たるゆえんの一つと言えるでしょう。

 

 

11:00 下山完了

この日は割りとライトな山行だったのもありますが、昼前に「いい1日だった」って言えるのはアドバンテージ大きくないですか?

 

 

この日は、その後、温泉にゆっくりつかり、帰宅して自炊して晩酌しました。

 

 

この1日でできたことを書き上げていくと

 

  • 運動
  • 読書
  • 写真撮影
  • 温泉
  • 山での食事
  • 料理
  • 晩酌

etc...

 

改めて並べてみるとお得ですね。笑

テント泊や、雪山、トレランなど、この辺りは山行スタイルによって変わりそうな部分がありますが、

 

みなさんなら、山登りの1日をどう過ごしますか?

考えてみると、できることの幅が拡がるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

「そこに山があったから」

それでも、山へと気持ちが逸るのに言葉は尽くせないと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

なんだかんだ言っても登山は楽しいし、山好きやもん。

(ここで、突然語彙力を失う)

 

 

 

 

 

 

 

 

少し硬めの内容になりましたが、山に登る理由なんてなくて、今回のブログでは登山をすることによる副産物の部分を話しました。

 

 

 

「好き」とか「嫌い」とか

「景色キレー」も「曇ってるからビミョー」も

「山で淹れるコーヒーの香り」も「山で食うカップヌードルのうまさ」も

 

結局、全部主観じゃないですか?

「行ってみないと分からない」じゃ伝わらなくないですか?

 

 

 

 

 

 

という点を踏まえて、今日はあえて主観を省いて事実に寄り添って書いてみました。

 

また、山については主観と独断と偏見を濃いめの内容で、別の角度から書けたらなぁと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

ブログ始めます

はじめまして

突然ですが

ブログ始めます

 

きっかけ

今年は読書がなんとなく習慣になったなぁと、

しかし、読んだのはいいけど、読んで終わりで、そんで良いの?って

 

学生時代から続けてる趣味の山登りだって、

もはや、習慣、生活の一部になってる感じさえする。

これはなにかに活かしたい。

 

まだモヤモヤした状態では、ありますがようはこういうことです。

 

俺のやってることなんて、所詮は排泄。それを居酒屋でやるのか、Twitterでやるのか。ハロウィンの若者も、ただ意味もなく撒き散らしてるだけの排泄だよね。でもそういう排泄が素敵な音楽や面白い何かだったら、人はそれを芸術と呼ぶ。

 ウーマンラッシュアワー 村本大輔

椎木知仁(My Hair is Bad)×村本大輔(ウーマンラッシュアワー)対談|相思相愛の2人、シンクロする価値観 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 

食事中の方、ごめんなさい。

 

 

 

でも、頭でっかちなってる状態で身動き取れないのは、ダサいなぁと思って

 

頭でっかち?便秘?

うん、まぁこの話はいいや

 

 

 

なぜ、このタイミングか

始めるのに、人目とか伺っちゃいますよね。

ぼくは気にしちゃいます。

 

 

だって、人に見られんだったら、良いもん出したいじゃん?

100点取れねえなら、そんな試験端から受けねえよwww

ってそんな感じです。

我ながら、ウザいヤツですね。

 

でも、始めます。

良いんです。100点は自分が自分で付けます。

 

前置きが長くなりましたが、このタイミングで始めたいと思ったのは、ある種新年の抱負って意味合いが大きいです。

 

まだ、2018年終わってなくね?ーーー

 

12月をスタートに目標を掲げたら、新年明けてから助走がある分、一年駆け抜けられそうじゃないですか?

1ヶ月早く始めてたら、そこで得た学びや失敗もありそうじゃないですか?

1ヶ月のプレ期間で、新年明けた頃には既にPDCA回せてたら、良くないですか?

 

これを読んだ方が、来る2019年に向けた抱負を掲げて、動き始める、

なんて、きっかけになったら嬉しいです。

 

ついでなんで、

来年(2019年)の目標を

 

  1. 腹筋を割ることで、体格のコンプレックスを克服する。 期限:2019年6月まで
  2. ブログの定期更新(月10回以上) 期間:2019年中
  3. 月に10冊、本を読む&書評書く(ジャンルフリーで) 期間:2019年中

 

山登りは好きだけど、あえて目標にしたいことも無いし、具体的な数値目標を設定しにくいので入れませんでした。

 

期限や期間を設けないと、最後までやらないor目標が曖昧になるおそれがあるので。

 

夏休みの宿題最終日にやってるタイプの方はこれ、大事かと。

(めっちゃ上から目線だけど、ぼくは二学期に入ってまだ宿題やってるタイプでした)

 

 

今後、書いていく内容について

 

ぼくは好奇心旺盛で多趣味(集中力が無くて散漫)なので、 

ジャンルはあえて拘らずにいこうと思います。

 

  • 書評(小説、自己啓発の類い)
  • 筋トレについて、身体や健康について
  • 山登り、アウトドアなレジャーについて
  • 仕事について
  • 音楽やフェスについて

 

パッと思い付いただけで、この辺りは書きたいなって思います。

 

もちろん、先程の掲げた目標の進捗も

 

 

ユルくやりつつも、ちゃんと書きたいですね。

 

だっておれ、自己顕示欲つよいもん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!