何もかも憂鬱な夜は、俺はどうしたらいい?
久々の投稿になったけど、今日はこの本を紹介したいと思う
概要
生まれた意味なんてねぇかも、
— すかいうぉーかー🔥バルクアップ (@unkoBNY) 2019年6月9日
でも、命は使うもんなんだよ
そう教えてくれた
・人を殺してしまった人、死刑という償いを受けるまでのロスタイム
・死刑を執行する人
・自殺した人(の記録)
..
そんな角度から、「生きるってなんぞや?」という問いに、中村さんなりの考え方をぶつけてる内容っした https://t.co/mTy03xgLuV
すかいうぉーかー🔥バルクアップ on Twitter: "生まれた意味なんてねぇかも、 でも、命は使うもんなんだよ そう教えてくれた ・人を殺してしまった人、死刑という償いを受けるまでのロスタイム ・死刑を執行する人 ・自殺した人(の記録) .. そんな角度から、「生きるってなんぞや?」という問いに、中村さんなりの考え方をぶつけてる内容っした… https://t.co/qEkxT8Bcsz"
ツイートにまとめたように、テーマは「生きるとは?」という問い。
登場人物からして重々しい内容ではあるが、
だからこそ角度を変えて考えることができる物語だったと思う。
登場人物の視点
- 死刑を執行する人(主人公のぼく、主任)
- 自殺した旧友、真下
- 夫婦を殺害した死刑囚、山井
死刑を執行する人、死刑制度について
この本は「生きるとは」というテーマと、死刑制度への見方についても問いを与えてくれた。
死刑を執行したことのある主任の意見は、「死刑制度には反対はしないが、基準を明確にしてほしい。」という。
世間が殺せと騒げば死刑、そうでなければ死刑にならない。
被害者遺族の感情を推し量るべきだが、では容疑者が被害者遺族の場合は?
死刑を執行する立場の人間からしたら、容疑者はあくまでもただの他人で、一人の人間。
特別な感情を抱くことはないが、かと言って、執行することへの躊躇は拭えない。
ならば、基準をもっと明確にしてほしい。
そんなことを語っていた。
自殺した旧友、真下の手記
主人公と同じ施設でそだち、若い頃思い悩んだ末に、自ら命を絶ってしまった真下のノートについても命やその営みについて考えている描写があった。
人類の傾向は拡大だと思う。進歩と呼ばれているものだ。だけど、実際には、それはただの目的のない拡大に過ぎない。
(中略)
小さな人間の集まった、一つの大きな人間と考える。中には拡大の抑制を望むものもいるが、全体の傾向は、やはり拡大だ。拡大には、積み上げていく「善」だけでなく、無駄を破壊する「悪」がいる。
犯罪的な人間は、その「悪」が変形し、捻じ曲がってしまった亜種ではないだろうか。
刑務官のぼく
主人公は、施設で育った恩師からこんな言葉を受けている
これは、凄まじい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には、無数の生き物と人間がいる、どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。いいかよく聞け
現在というのはどんな過去にも勝る。 その アメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続はその何億年の線と言う 途方もない奇跡の連続は、いいか?
すべて今のお前のためだけにあったと考えて良い
この言葉を受けて、主人公もやはり死刑囚の山井に死刑を執行するまで、いかにして生きるべきかを述べている。
俺が言いたいのは、お前は今、ここに確かにいるって事だよ。それなら、お前は、もっと色んな事を知るべきだ。お前は知らなかったんだ。色々なことを。どれだけ素晴らしいものがあるのか、どれだけ綺麗なものが、ここにあるのか。お前は知るべきだ 命は使うもんなんだ
世界には素晴らしいものが溢れていて、それは、ムカつく奴にも、ぼく自身にも平等に開かれている。
命はもっと使うべきだし、触れていくべきだと思う。
この本を読んで、ドン底から生きる意味を思い知らされた。
本当に何もかも憂鬱な夜は誰しもある。だが、その夜を乗り越えないと見れない景色はある。
憂鬱な夜に目を向けるだけじゃなくて、素晴らしいものに触れて生きたい。