読んでない本の読書感想文を書いてみる

 

みなさんは、読書感想文という宿題が得意だっただろうか

学生の頃、夏休みの宿題の一つに入ってたりしたアレである。

 

 

ぼくはというと、苦手だった。

「なんで、読んだ上で、文章書かないかんのじゃ!二度手間や!めんどくさい!」

 

 

いや、二度手間ってなんだよ…

確かに読まないと書けないものではあるけど、

 

 

そんな僕は、サクサク進まないことに対してイライラが募り、

目次と導入部分と、巻末のまとめの部分だけを読んで、それっぽい感想を添えて提出したことがある。

 

いちばん酷いのは、小説の帯と、裏表紙のあらすじだけを読んで、それっぽい感想を添えただけというお粗末な物まで…

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、意外とバレへんな…先生ちゃんと読んでますか…?」

そんなことを思ってしまった中二の夏

 

いや、オマエこそちゃんと書いてますか?

と今になって思う。

現代文担当だった鈴木先生ホントにごめんなさい。

 

おかげで要約するのは、得意になりました。

 

 

 

 

 

 

さて、反省する様子があるかどうかは、あえて触れず、今回の本題に移りたい。

 

 

 

 

 

 

読んでない本の読書感想文

本を精読することなく、内容を知るとなると、僕の場合は方法はこの2つしか思い浮かばなかった。

  • 目次と導入とまとめだけをかいつまんで読む
  • 人から内容をきく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今回は、こちらのイベントを活かして2つ目の方法に絞ってみた。

 

 

 

 

 

読んだ本はこちら

 

(僕が)読んだ(わけではない)本はこちら。

 

 

 

 

まず、著者について、ライフネット生命の社長を勤める出口氏はサラリーマンを経て社長に至る。

 

そして、豊富な人生経験の中で、教養とはなにかということを見つめ、たどり着いた回答を記しているという。

同時に教養を得るためのメソッドも語っている。

 

 

 

 

 

 

教養とは「ワクワクを増やすためのツール」

本の命題に対する著者の回答は、自分の興味や関心について、掘り下げるための道具が教養なのであると語っている。

 

例えば、サッカー観戦をするにしても、

  1. ルールを知ってるレベル
  2. 選手の顔と名前が一致する
  3. 好きな選手がおり、そのプレースタイルからルーツまで把握している

好きのレベルにも段階があると思われる。

より深く知っていた方が、「教養がある」方が、多くの視点で観られる分楽しめるはずである。

 

 

 

 

ここで、逆説的に考えてみたい。

僕自身は、運動音痴でサッカーはするだけじゃなくて、見るのもイヤというタイプだったらどうだろうか。

サッカーについての見識を得たいとは思わないし、掘り下げようとは思わない。

 

僕が面白いと思ったのは、著者は「ワクワクを増やすためのツール」と言っている点である。

やはり、活かすも殺すも自分次第なのだなと感じた。

 

 

同時に、学校がやっていることは、「生徒にツールを与えている」だけであり、「生徒にツールの使い方を教えている」訳ではないという点にも気付くべきなのではないだろうか。

 

 

 

 

 

リコーダー吹けても楽しくねぇよ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

運動音痴だから、サッカーしたくねぇよ!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ツールを使ってどう楽しむんだよ?と、

ひねくれた少年は声を上げるべきだと感じた。

 

 

 

 

 

一方で、著書において教養とは、「空間軸」、「時間軸」でも問われる物が変わってくるという。

 

例えば、現代における年金などの社会保障について考えてみる。

近年になって「オレが定年越えたら…」なんて心配をする人が大多数だと思う。

一方で時間軸を20-30年ほど前に戻すと、バブルの時代にそんな心配をしていた人は少数派だったはず。

 

空間軸についても、局地的な問題や関心はあるはず。

 

教養は不変的なものではなく、常にアップロードする必要があると感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教養を得るための手段

先ほどまでは、教養とはなにかという命題に対する回答だったが、その教養を得るための方法論についても、著者は述べている。

 

それが、大きく分けると以下の3パターンだという

 

 

 

ここから、3つのパターンについて、比較を含めて話したい。

 

言わずもがな、他2つに比べて、コストが低く、手軽である。

時間や場所を制限されずに、著者の体験や論理を学ぶことができる。

ただ、自分だけで解決してしまう媒体なだけに、視野が制限されがちである。

 

小説であれ、評論であれ、特定の人物の思考や視点をたった一冊で、1000円前後で得られるのは、やはりすごいと改めて感じた。

 

本読もう…

 

 

 

 

 

 

 

特定の人物に会う、話を聞く、体験をシェアする。

これにより、人間は、お互いに大なり小なりの影響を相互方向に与えている。

 

前述の本という媒体に比べると、会いに行く時間とお金というコストや制限はかかる。

しかし、会いに行くということは、人物の機微であったり表情、発声の抑揚から伝わることもあるように思う。

 

みなさんの中にも、「会うだけで、話さずとも笑顔になれる人物」はいないだろうか?

前後の人間関係ももちろん関係してくるところではあるが、なんとなく好き(or嫌い)という、言葉では尽くせないものがそこにはあると考える。

 

これは、仮説だが、一般的にいう面白い人というのは、周囲も面白い人が多いようにおもう。

 

つまり、会った人の数、人の種類、経験が今の自分を形成しているといえるのではないかと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

旅からも得られることは多い。

 

例を挙げて考えたい。

先月、私用で京都に行くことがあった。

当然のことと言えばそれまでだけど、普段過ごしている都内とは見える世界が明らかに違った。

建物の高さや景観はもちろん、擦れ違う人の話す方言など

 

新幹線を降りて改札を越えた次の瞬間から感じられる物があった。

 

たしかに、前述の2つに比べて、わざわざ足を運ぶことや、旅に割く時間などを考えるといちばんハードルが高いようにも思う。

 

だが、人と会うこと、本を読むこと以上に五感をフルに使える点が違うと感じた。

 

前述の「空間軸」で必要とされる(活かせる)教養が異なるということは、まさにこのことかと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

教養=「ワクワクを増やすためのツール」

すなわち、面白い人というのは教養のある人、興味や関心の幅が広い人物。

 

教養を得るためには、以下の3パターン

  • 本を読む
  • 人と会う、話す
  • 旅に出る、足を運ぶ

 

教養は、「空間軸」、「時間軸」でも問われる物が変わってくる。

したがって、不変的なものではなく、必要に応じて常にアップロードすべき。

 

 

何より、「教養」って堅苦しいし、頭でっかちなイメージを浮かべがちだったが、

話せる幅や、人間性そのもののことを指しているのだと考えさせられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれ?!オレ読んでないけど、それっぽいこと書けてる?!

 

14歳の夏から何も進歩していないと気付いてしまったのであった。

 

さすがに、こんだけ書いといて読まないのはナンセンスかなと思ったので、Amazonで購入。

 

改めて読んだ感想も書きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ありがとうございました。